「無施肥、農薬不使用」
農薬を一切使わず、肥料も、化成・有機問わず、施肥目的では一切使わない方法です。
放置農法ではなく、耕起や草取り、その他、圃場管理は、しっかりと行います。
そして、「自家採種」を毎年繰り返し、種と土(圃場)とを適合させていきます。
何故「無施肥、農薬不使用」なのか?
人の手が入らない山野に木々が育ち、道端にも草花が育つように、自然界には「本来」、肥料分を
施さなくとも植物、作物は育つ「仕組み」があるのです。
その仕組みに則して、作物の持つ、本来の能力が最大限に発揮できる環境を整えていきます。
人間が余計な事、人工的なものを加えれば加えるだけ、その「反作用」で、
自然界は本来のカタチから、ひいていってしまう(遠ざかってしまう、弊害をもたらせてしまう)のです。
逆に、
人間が余計な事を止めていけば、自然界は、惜しむ事なく、本来の力を取り戻していくのです。
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施肥の反作用(自然の理)
「肥料分を入れる(施肥)」事が「常識」という程、近代農業は施肥という事に疑問を持たずに、
ここまで進んできました。収量を上げる、生育を早める、味を濃くする等の「効果」が目的です。
しかし、前記の通り「効果」を求めて人為的に加えていけば、
必ず、それに対する「反作用」という現象が起こってくるのが理(ことわり)なのです。
「多く、早く、濃く」を促す、という事は、「不自然」という事になります。人間や動物や他の生物に
置き換えてみれば理解し易いと思います。
筋肉増強剤(ステロイド)等を摂り込めば、身体や心にどんな影響を及ぼすか?
多くの人々は、作物(植物)を単に「モノ」としか捉えていない事に疑問を持たずにいる、というのが
現状ではないでしょうか?
作物(植物)も、私達人間や動物等と同様に「生き物」だという事を
思い出していただきたいのです。
不自然に生育を促進させたりすれば「おかしな事(不自然な事)」になるのは「自明の理」なのです。
例えば、一本の木になる実の数量は、ある程度決まっています。
多すぎれば「生理落果」で余分な実を落としていくものなのです。
それを施肥や薬で、多く、しかも早くならせようとすれば、その分、樹のエネルギーは
消耗していくのです。そうすると、次は「農薬」の出番がくるのです。
人間も「抗生物質」等の薬を使用しますが、近年になって、抗生物質の効かない病が、
どんどん生まれてきているのです。抗生物質や殺虫剤、除草剤が、そこにある菌や虫、草などを
「全て」駆逐し切れる訳ではないのです。
必ず、生き残ってしまうものがいるのです。そして、それらの薬剤が効かない「耐性」をもつものが
「新たに」生まれてしまうのです。
これが「生命の凄さ」なのです。
「自然の理」である反作用が生じてしまう「元」は、人が自然の法則に則さず、不自然を行った事なのです。
何故、これだけ医学が発達しているといわれているのに病気は少なくなるどころか、
年々「新しいウィルス」等が生まれ、対応策が間に合っていないものが増えているのでしょうか?
それを、あらためて考えてみれば、難しい話ではありません。
効果を求めて施肥をする。
それは、種(作物)だけではなく「土」「水」「人体」等にも影響を及ぼすのです。土の持つ本来の性質、機能を失う事になるのです。
「柔らかく、暖かく、水もち、水はけの良い土」から、「固く、冷たく、水もち、水はけの悪い土」へと。
また、土壌に対して、消化し切れない量の施肥をする事で、病害虫の増える元を作り出してしまうのです。
窒素過多による人体への影響、そして地下水の汚染。河川の富栄養による生態系の変化。
これは、化成有機に共通した弊害です。
化成肥料は、化学物質のカタマリであり、人間(自然)が消化、分解しづらく、化学物質過敏症等を
引き起こす元にもなります。有機は安全かと思えば、畜産由来のものであれば、
その動物が健全であるのか(エサ、抗生物質づけの現状)の危険性もあるのです。
そして、元より、肥料も農薬も、輸入(原料など)に依存しています。
料金も今後上がる事はあっても、安くなっていく事はないですし、輸入がストップすれば、それまでなのです。
人体への影響、環境、作物、土、水などの安全、また、経済的(経費)等を考えてみた時、自ずと答えは導き出せるはずです。
「蜂」という生物の大切さ
農薬に多く含まれる物質に(ネオニコチノイド)という物質があります。近年、蜜蜂の大量減少に
大きく関わっているといわれています。
かのアインシュタイン氏は、
「この世から蜜蜂がいなくなれば、時をおかずして、人類は滅びてしまう」
という意味の言葉を残しています。植物が受粉する為には、蜜蜂の働きによるものが多いのです。
三穂の郷農園では、この蜜蜂の存在の重要性を感じ、「養蜂」にも取り組み始めて数年が経ちます。
現在、希少存在である「日本蜜蜂」と「西洋蜜蜂」の養蜂を両輪として行っています。
三穂の郷の養蜂、蜂蜜の説明に関しましては、
コチラをご参照下さい。
三穂の郷の目指す農
自然栽培の先達の方々は、こう云われます。
自然尊重・自然規範・自然順応と、これらの理念は、読んで字の如しです。
まず、自然の偉大なる力を覚り、その一部である人間にコントロール、支配出来るものではない事を覚る事。
そして、自然をしっかり観察し、そこで起こる現象から、理、法則を見出す事。
自然こそが「師」なのだと覚る事。
その法則(自然の理)に則して、人間の側から和していく事。
太陽、月、大地、(日、水、土)の本来の恵みをしっかりと感じる感性も大切な事です。
自然の流れの中にある農。
土も、水も、種も、本来の在り方に還る。
圃場外からの物に依存する事なく、安全と安心を次世代に残していける永続性のある農を確立していく事。
自然栽培においての無施肥、農薬不使用は、あくまでも手段(結果論)であり、目的そのものではないのです。
真の目的は、それら(自然、農)と関わる事で、自然の本質(理、法則)を感じ(実感)、捉えるための「感性」という能力を磨く事。
自然の理を感じ、それが自分と他(人、物、社会)との関連性の中に活かす。自然の在り様を観て、
それを師としながら、自らに置き換えて、その本質を学び活かす事なのです。